祭り見物 / 愛知県 / 上郷の警固祭り |
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2011年10月9日、ネットでお祭を検索していてみつけた「岩作のオマント」というお祭を見に行こうと、地下鉄東山線の「藤が丘」まで行って、そこから長久手まで歩くことにした。
「岩作」というのは、「やざこ」と読むということだが、これは地元のひとしかそうは読めないだろう。
祭りは、式内社の「石作神社」で行われる、ということで、まずは、神社へ向った。 神社は、岩作の街並の北に広がる田園のさらに北の丘陵にあった。 幟も立って、氏子の人たちも集まってきていて、駐車スペースの整理担当のおじさんがいたので、祭りの時間割を聞いてみると、今年は、岩作では「オマント」はないよ、というので、えぇぇぇ、となってしまった。
「オマント」は、長久手の3地区で毎年どの地区が開催するか話し合いで決めるそうで、順番ではないので、どの地区が開催するかはその年にならないとわからないのだそうだ。
で、今年は、もう一つ東の「上郷地区」で行われる、と教えてもらい、とりあえず、石作神社に参拝してから上郷へ向うことにした。
石作神社の駐車スペースの整理を担当していたおじさんに、今年は石作神社のある「岩作」では「オマント」は無くて、もう一つ東の地区の「上郷(かみごう)」で行われ、「ござらっせ」へ行けばわかる、と教えてもらったので、iPhoneの地図をみるとすぐ「ござらっせ」がみつかったので、それをめざして歩く。
「警固祭り」というのは、
「背に標具(ダシ)を乗せた馬を鉄砲隊や棒隊などが警固し、集落を練り歩き火縄銃を発砲する勇壮な祭りです。
「ござらっせ」というのは日帰り温泉施設で、そこで警固祭りの時間割や地図ののったパンフレットをもらった。 私が「ござらっせ」に着いたのが9時半ごろで、祭りは9時からすでに始まっていて、一行は「神明社」に向っていて、9:40~10:30が神明社にいる、ということで、とりあえず私も神明社へ向った。 上郷地区は東西を小高い丘の連なりにはさまれ、中央を「香流川」が中央を北西から南東に流れる田園地帯で、神明社はその南東端に位置する。 |
社殿は丘の中腹に、西北西向きに建つ。 |
本殿は、神明社としてはめずらしく、流れ造り。 |
見所の「馬の走り込み」はすでに終わってしまったようで、拝殿では、可愛い巫女さんが神楽を踊り、広場では、子供たちによる「棒の手」の奉納が行われていた。 |
境内の裏のほうに今日の主役の「オマント」が休んでいた。 |
一行は、このあと上郷の田園地帯を、多度社、熊野社と途中23ヶ所で火縄銃の一斉発砲をしながら回る、ということで、私はとりあえず神明社の前で一行が出てくるのを待った。 |
「オマント」と警固の一行は、神明社の次は、「改善センター」を巡り「多度社」へ向った。
途中、香流川を渡る橋で、一行が多度社の地区の一行と合流する時に何か儀式が行われ、それも見所の一つであるらしいが、残念ながら私は一行の後ろのほうについていて、地元のおじさんに教えてもらったときはすでに合流が終わってしまっていた。
で、私は「改善センター」へは付いて行かないで、多度社へ先回りして一行を待った。
多度社は、香流川の川に沿った大きな森の中にある。 |
社殿は、南西向きに建つ。 |
しばらくして一行が神社境内へ入ってきて、神社の境内を3周して、オマントの走り込みや火縄銃の発砲を目近で見ることができた。 |
多度社でお昼になり、一行は、ぐるりと回って「ござらっせ」と同じ敷地にある地場産品を売る「あぐりん村」へやってくるので、私は先回りして、そこの食堂で昼飯を食べ、そこでイベントもやっていたのでそれをながめて一行がやってくるのを待った。
会場では棒の手の演舞があり、熊野社へ向った。
神社の石標のあるところは「馬宿」になっていて、地元の人たちが一行のやってくるのを待っている。 |
社殿は丘の中腹にあり、「大草城址」の石碑もあった。
社殿は、南向きに建ち、本殿には、千木はないが、鰹木が載る。 |
巫女さんの神楽舞の奉納がはじまり、それを見ていると、警固の一隊が境内へ上がってきた。 神事は同じように進み、馬の走り込みも見ることができた。 |
警固隊が境内を去ると、境内は静かになるが、神楽奉納は続いて、最後に一人舞で締めくくられた。
神楽奉納の時、ドサッ、ドサッ、とおひねりが投げ入れられるのが印象的であった。
帰りは、神明社の近くにリニアモーターカーの「リニモ」の「公園西」駅があったので、また香流川の堤防の道を歩いて駅へ向った。
上郷地区からは、大きな観覧車が見えていたが、「愛・地球博記念公園」が次の駅であることを知った。 |